O選手が、「ベルベットパス」と呼ばれる、受け手が扱いやすいパスを繰り出せるのも、こうしたやさしさがあるからなのかもしれません。
また、O選手はいつでも向上心を忘れませんでした。
利き足ではない左足でも正確なキックができるように、左足のキックの練習に打ち込みました。
そして、針の穴も通すほど正確なパスを繰り出せるようになったのです。
O選手が向上心を忘れなかったのは、本人の資質もさることながら、小学校S年生のときに練習試合で対戦したT直泰選手の存在も大きかったようです。
試合はT選手の活躍により、3対1でT選手のチームが圧勝。
初めて挫折を味わったO選手は、その後さらに練習に励み、テクニックを磨いて名選手へと成長しました。
ライバルに恵まれ、いつでも向上心を忘れないO選手。
これからもさらに成長し、「世界のO」として活躍してくれるでしょう。
当時のアメリカというと、サッカーより野球のほうが圧倒的に人気スポーツで、サッカーを始める子どもは珍しかったかもしれない。
ただ、ボクが生まれたニューヨークはわりとサッカーが盛んだった。
結構、兄たちもうまかった。
小さいころはサッカーもやったし、野球もやったという感じ。
サッカーが子どもに与える影響の中で、ボクが一番大切だと感じている「コミュニケーション能力」について話しました。
ボクの生い立ちを交えながら、コミュニケーションを通じて、子どものやる気、モチベーションを高める方法を提案したいと思いますボクがサッカーを始めたのは小学校の低学年のとき。
ボクの兄と兄の友だちがサッカーをやっていて、ボクも一緒にボールを蹴って遊んだのがきっかサッカーに専念するようになった理由のひとつは、やっぱり北米サッカーリーグの影響が大きい。
ボクが生まれたのは1960年だけど、1970年代に入るとその北米サッカーリーグが始まって、ニューヨーク・コスモスというプロチームがあった。
PやBといった往年のスター選手が活躍していたんだちょうどそのころ、ボクは中学生になっていて、ニューヨーク・コスモスの試合をよく観戦した。
世界的なスーパースターのプレーを見て、「こんなふうになりたいなあ」とあこがれたし、子どものころから芝生の上でサッカーをやっていたなんて、うらやましいなあと思う人も多いんじゃないかな(笑)。
そういう意味では、ボクはラッキ-だった。
すごく田舎で、人口が少なかったんだけど、近所に野球場があってね、芝生の上で高校生や大学生と一緒にミニゲームをして遊んだのをよく覚えていたんだ。
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